人が樹になり、樹が人になる
国立西洋美術館へ、アルチンボルド展を見にゆく。
アルチンボルトは、花や樹が顔になったり、野菜や動物が顔になったりしている奇想天外な肖像画の作者。
展覧会を見るまで、私はこの人のことを何も知らなくて、こんなにシュールな絵を描くのだから近代の画家なのだろうと思っていた。
展覧会を見始めて驚いた。
500年も前の、しかも皇帝に仕える宮廷画家だったのだそう。
花が顔になっている絵も皇帝を象徴する連作のひとつで、皇帝も貴族も彼の絵を喜んで眺めていたんだとか。
もしも私が皇帝で、この作品を差し出され「皇帝を賛美する絵です」と言われたら、「え…」と一瞬戸惑って、それから腹が立つと思う。
ハプスブルグ家、なんたる鷹揚さ!
連作のひとつ、樹が男の顔になっている「冬」という作品を見ながら、「人はかつて樹だった」という長田弘の詩を思い出した。
人がかつて樹だったのか、樹がかつて人だったのかは判然としないけれど、アルチンボルドの絵を見ていると、はるか昔、樹と人、花と人、動物と人の境目は曖昧で、自由に行き来できたのかもしれないという気がしてくる。
展覧会には、アルチンボルドに倣って、さまざまな有機物や無機物を組み合わせ肖像画を描いた追随者の作品もあった。
けれどなぜだろう、アルチンボルドの後継者たちの作品は、「いろいろな形を組み合わせて人の形にした」だけで、それ以上でもそれ以下でもないように見える。
アルチンボルドの描く肖像だけが、独立した意思を持つ不思議な生命体として、カンヴァスから浮かび上がっている。
1枚の画の中に、雑多な生命が集まって構成される宇宙があり、たとえば冬虫夏草や倒木更新のように、吸い取ったり受け継いだりするなまなましい命のやりとりが見える。
国立西洋美術館の企画展に、こんなにたくさんの若い人や外国の人が集まっているところを、私は初めて見た。
夏休みのせいなのか、私が東京を離れている間に流行が変わったのか分からないけれど、アルチンボルドの描く奇妙な宇宙がそれだけ普遍的で、あらゆる人の心を惹きつけてやまない、ということなのかもしれない。
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