かんしゃくを起こす子どもに怒鳴ってしまった自分が嫌いになりそうなとき
その瞬間は、突然訪れる。
たとえば、朝、保育園に出かける準備をしているときのこと。
今朝はここまで順調。まだ一度も声を荒らげていない。トーストを一口かじっては遊び、ちっとも食べ終わる気配のない息子を、何度となくテーブルに引き戻してはようやく完食させた。着替えを嫌がる息子を「お着替え競争」に誘い、いつもより早く着替えさせることに成功。
いよいよ靴下を履いて出発!という段になって、ぐずり始める息子。靴下のかかとの、縫い目がぽちっと飛び出しているのが気に入らない。違う靴下を持ってきても「イヤ!」。履いては脱ぎ、脱いでは履き、次第にぐずりがひどくなってかんしゃくを起こし、泣いて暴れながら靴下を放り出す。
こうなったらもう、何をしてもダメ。なだめても、言い聞かせても、叱っても、おやつで気を引こうとしても、
「お母さん大きらい!」
最初はやさしく言い聞かせていたわたしの口調もだんだんヒートアップ。「勝手にしなさい!」と近所中に響き渡る声で叫んだ後、ああやっちゃった…と自己嫌悪。自分はなんてダメな母親なんだろう。わたしがこんなだから、子どもがわがままに育ってしまったに違いない…
そんな、些細なきっかけで始まるかんしゃくが毎日のように繰り返されて、けっこう追い詰められていた今日このごろ。ふと手にとった本にこんな一節があって、目がくぎ付けになる。
「正直に言うと、私が育児のクラスを始めたのは、はなはだ利己的な理由からでした!
靴下の縫い目がチクチクするという理由で、30分も泣き叫ぶ子どもといっしょに暮らすのがどんな感じかをわかってくれる人に、私自身が話を聞いてほしかったのです。」
思わず笑ってしまった。自分のほかにも、靴下のことでかんしゃくを起こす子どもに手を焼いている人がいるなんて!
本のタイトルは『言うことを聞かないのはどうしてなの? スピリッツ・チャイルドの育て方』。
「癇が強すぎる」「かたくなすぎる」「感受性が強すぎる」「知覚が鋭敏すぎる」子どもたちのことを、著者はスピリッツ・チャイルドと読んでいるらしい。診断テストをしたら、どれもこれも当てはまる項目ばかりで笑ってしまった。
大人から見ると些末なことに異常にこだわり、一度言い出したらテコでも動かない頑固さ。そしてとにかくエネルギッシュで、感情の量が多い。気に入らなければ1時間でも泣き続けるし、3歳になった今も、寝かしつけに1時間以上かかることが珍しくない。
一体誰に似たんだろう…と実家の母に愚痴をこぼしたら、「あんたも好奇心旺盛で、こだわりの強い子どもだったよ」と笑いながら言われた。何も解決していないのに、何だかほっとした。そのときはどうしてだかわからなかったけれど、この本を読んだ今ならわかる。母はわたしに「あんたは落ち着きがなくて、かたくなな子どもだった」とは言わなかった。それは、すごく大切なことだ。
自分の子ども時代を振り返るにつけ、わたしはお世辞にも育てやすい娘ではなかった。と思う。極度の人見知りで怖がり。神経過敏で刺激に弱く、おまけに頑固。当然のごとく集団生活に馴染めないわたしに、母は「あなたは人より感受性が強い。生きづらいかもしれないけれど、それは特別な才能で、将来必ず花開く」と繰り返し言って聞かせてくれた。だからわたしは、自分の敏感すぎる性質を嫌いにならずに済んだし、夢は必ず叶うと信じて今日まで生きてくることができた。
ひるがえって、うちの息子。
気づかないうちに、わたしは、目先の大変さに心折れて、子どもにマイナスのレッテルを貼ろうとしていたのかもしれない。かたくな。落ち着きがない。神経質。たとえば彼の性質を、こんな言葉に置き換えてみよう。「感受性豊か」「エネルギッシュ」「意志が強い」「好奇心旺盛」というふうに。
善悪やルールを教えることは親のつとめだけれど、そのことと、子どもの可能性を信じることは別。親が信じてやれなければ、子ども自身も、自分を好きになることは難しい。息子には、いいときも悪いときも自分で自分を好きと思える、人格の「芯」みたいなものをプレゼントしてやろうと、お母さんになったあの日、わたしは自分に誓ったはず。
この先も、母親としてたくさんの困難に当たるだろうけれど、何度でもスタート地点に立ち返って、この場所からやり直そう。迷いながら悩みながら、母がわたしにしてくれたように。
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