読書の喜びに身も心も浸りたい秋の日に

読書の秋にぜひおすすめしたい1冊をご紹介します。

松家仁之『火山のふもとで』。

何よりも、本当に美しい小説。


豊富な知識と教養に裏打ちされたディテール、

ゆったりと、それでいてめりはりの効いたストーリーテリング、

ノスタルジックな舞台設定、

魅力的な登場人物。


完璧な小説、というものがあるとしたら、まさに本書がそうだろうと思う。


そりゃあそうだ、だってこれは、何よりも小説を愛し、誰よりも長く小説について考え続けてきたであろう松家仁之さんの、満を持したデビュー作だもの。


レンガを積むように、ひとつずつ丁寧に重ねられてゆく細部。

読書の喜びを存分に味わいながら、それぞれの場面に身をまかせている間、読者は自分が経験している細部の意味について気づくことはない。

考えることを忘れさせるほど、文章が美しく豊かなのだ。


あるところまで読みすすめ、読者はふと足を止める。

自分が読んできた一ページずつが、一文の無駄もなく、ひとつのたしかな意思のもとに築かれた精緻で美しい建築物を構成していたのだと気づき、目を見張る。


物語の起承転結は、主人公である若き建築家が「夏の家」で経験する四季の移り変わりと、見事に一致している。

夏が過ぎ、秋が来て、やがて人生の冬を迎えた主人公が、夏の輝きを振り返る描写の美しさは、この小説の白眉だ。

切なくて、ほろ苦く、しかし思いがけないほど豊かな贈りものが用意されている。


編集者としてたくさんの作家を育ててきた著者の、本と物語への愛情は、たとえば老建築家が語る、こんな言葉に現れている。


「ひとりでいられる自由というのは、これはゆるがせにできない大切なものだね。子どもにとっても同じことだ。本を読んでいるあいだは、ふだん属する社会や家族から離れて、本の世界に迎えられる。だから本を読むのは、孤独であって孤独でないんだ。子どもがそのことを自分で発見できたら、生きていくためのひとつのよりどころになるだろう。読書というのは、いや図書館というのは、教会にも似たところがあるんじゃないかね。ひとりで出かけていって、そのまま受けいれられる場所だと考えれば」


読み終わるのが惜しい、いつまでも小説の世界に遊んでいたいと思わせてくれる本との出会いは、そうたびたびあるわけではない。

こんなにも贅沢な読書の時間をプレゼントしてくれた著者に、それから、どこにいるかわからない本の神さまにも、素晴らしい本をありがとうと手を握って感謝したいような気持ち。


さて。


最初のページに戻って、もう一度読み返そう。

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