無事是貴人
やっと、ここに、たどり着けた。
畳の上に正座して、しゅんしゅんと鳴るお釜の音に耳を澄ませながら、思わず小さなため息が出る。
年末から、いろいろなことが重なって、なかなかお茶の稽古に来る時間をつくることができなかった。
今年初めての稽古なので、自分の中での初釜、新年のご挨拶と思い、久しぶりに付け下げを着た。
袋帯を締めると、気持ちが「はりっ」とする。
そして着物を来てエレベーターに乗ると、乗り合わせた男性が、こちらの会釈に挨拶を返してくれる確率が倍になる。
服装は、メッセージだ。
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今日のお茶碗は、とても綺麗な群青色だった。
正面に、金で富士山と松が描いてある。
くるりと180度回した内側にも、金がひとはけ、さっと塗ってあって、お茶碗を顔の正面に持ってきて片目を瞑ると、ちょうど松の木の枝の間から月が見えるような具合になっている。
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お菓子は、菜の花。
黄色い表面が少しひび割れて、鮮やかな黄緑色がわずかにのぞいている。
楊枝で2つに分けると、中は眩しいくらいの新緑。
外はまだまだ寒いけれど、お懐紙の上に一瞬、春の風が吹く。
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新年のお軸は「無事是貴人」。
あれもこれもと外に求めるのではなくて、ありのままの自分として穏やかに生きることの大切さをあらわしているのだと先生が教えてくれた。
簡単なことではないけれど、せめてお茶室にいる間は、そんなふうでありたいと思った。
このすっきりと片づいた、無駄なものが一切ない場所で、静かに落ち着いた気持ちでお茶を点てる時間が、私の日常をどれくらい支えてくれていることか。
1年前には、思いもよらなかったことだ。
森下典子さんの『日日是好日』が映画化された影響か、ここ数ヶ月、お稽古に行くたびに新しい生徒さんがみえている。
今日は同じ時間帯に4人の方がいて、気づいたら私が一番の古株だった。
相変わらず、棚とお道具が変わるたびにすべての手順が頭から吹き飛んで操り人形になってしまう私だけれど、そう言えば、1時間正座していてもすっと立ち上がれるようになったな、と帰り道にふと気がついた。
不器用でも、下手の横好きでも、新しいことがひとつ、ふたつとできるようになっていくのは、純粋にただただ愉しい。
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稽古から帰宅して、1日の終わり、思いがけない人から、思いがけない話を聞いた。
なぜ、自分がその話を聞く役回りになったのか。
私に、何ができるのか。
目に見えるものだけがすべてではない。その奥にある物語を、私は見たい。
話してくれた方は意図していなかったことだと思うが、「人の話を聞き、文章を書く」という仕事について、一から考える大切なきっかけを頂いたように思う。
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