白椿

今日も今日とて、てくてくお茶のお稽古へ。

昨夜、楽しい会があって、ちょっと飲みすぎてしまった。

朝目が覚めてもうっすら頭が痛くて、どうしようかな…と少し迷ったけど、こんな時こそお抹茶が飲みたい!と強く思ったらじっとしていられず、えいやっとお布団から出て身支度を整える。

こんな朝には、紺色に椿を散らした紬。帯も赤い椿で気持ちをしゃきっと。

着物に腰を支えてもらったら体も気持ちも軽くなって、先生のお宅まで春のお散歩。

最近、あたらしい方が増えて毎回大入り満員のお茶室、今朝一番はめずらしく、生徒がふたりだけだった。

私が先にお点前をすることになり、水屋に入ったら、お茶碗も椿柄。

ふつか酔いで、気の抜けたお点前をしてはお茶の神さま(?)に失礼ですよ、と椿の花に励まされているような気がして、昨日と今日のスイッチを切り替えるつもりで、深呼吸してからお茶室に入る。

今日の棚は木地の抱清棚。お軸は「百花」。


茶道にはたくさんの手順とルールがあるので、忘れっぽい私はいつも、お点前をしながら「次にすることは…」と先回りして頭の中を忙しくしてしまう。

今日も途中まではいつも通り、考え考えお点前をしていたのだけれど、お湯であたためたお茶碗を自分の前に置いたとき、今日はなんだか「いま」の中にいる感じがする、と思った。

過去でも、未来でもなく、素敵なお茶碗で目の前のお客様に一杯のおいしいお茶を飲んで頂くことだけに全神経を集中している、今、この瞬間がただただ心楽しいな、と。

そうしたらいつの間にか、考える前に右手が勝手に動いてお茶杓を握り、左手をお茶入れに伸ばしていた。

「あ」と思った。

いま、私、片足一歩分だけ、「手順」の枠の外に出た。

そこはとても広くて、かぎりなく自由で、わくわくするような発見に満ちた場所だった。

   ♪

お点前が終わり、「ありがとうございました」とご挨拶をしたら、先生がにっこり笑って言った。

「日常の雑事を離れて、すっと頭を切り替えて、良いお点前ができましたね」

本当におどろいた。

ふつか酔いで来たことも、「スイッチを切り替えよう」と思ったことも、自然に手が動いた瞬間があったことも、私は一言も先生に伝えていない。

先生にひとつずつ間違いを直して頂きながら、いつも通りのお稽古をしただけ。

それなのに、私のわずかな所作の違いだけで、先生には全部わかってしまうのだ。

「はい。とても楽しかったです」

先生は静かに頷いてくださった。

それから、先輩のお弟子さんが「芝点(しばだて)」を披露してくださった。

棚の中板を外し、その上に茶入れと茶筅を載せてお茶を点てる。

屋外でお茶会をする「野点」のときに行われたお点前だそう。

「百花」の掛け軸とあいまって、一面、花が咲き乱れた春の野原にいて、のんびりとお茶を愉しんでいるような感覚が、ひとときお茶室をつつむ。

四畳半の小さなお部屋が、春の野原にも、夏の涼やかな川にも、紅葉の山にも、雪景色にも変わる、ここはまるで小宇宙だ。

「まあ、お茶って、なんて楽しいのでしょうね」

私たちの心を読んだように、先生が仰った。

雨の日も、晴れの日も、同じ部屋で同じ手順を繰り返しながら、毎回そのことに新鮮なよろこびを感じられるのは、本当に何という贅沢な愉しみだろう。

先生のお宅を辞して、来た道をてくてくと歩いていたら、今度は白い椿が咲いていた。

「よかったわね」と花にほほ笑みかけられたような、気がした。

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