赤ペンで書かれたラブレター

赤入れが好きだ。

文章を修正するときに、赤ペンで書き込む文字。

誤字・脱字のみならず、語尾のリズムを整えたり、事実関係の間違いを正したりする時にも「赤」が活躍する。


手書きでも、Wordなどのソフトでも、びっしり赤文字や修正履歴が入って、元の文章を読み取ることが難しくなった原稿を見ると、うっとりする。

矛盾する表現だが、「なんて綺麗な原稿だろう」と思い、ワクワクして顔がにやけてくる。

文章を書いたり、編集したりする仕事を長く細々と続けてきたけれど、「赤入れが好き」という人にはあまり会ったことがないので、たぶん、私はちょっと変なのだろう。


今でこそ「赤入れフェチ」の私だが、十数年前、書く仕事を始めたばかりのころは「赤入れ恐怖症」だった。

右も左もわからないまま、とりあえず書いた原稿は、デスクや校閲担当者の手を通るうちにびっしり赤が入って、ほぼ原形をとどめていないことが常だった。

何ヶ月も取材をして書いた原稿が、印刷された紙面を見たらまったく別の文章になっていて、こんなことなら私の署名を消してほしいと、会社のトイレで泣いたこともあった。

赤字を見ると心臓が縮み上がり、その乱暴な色彩で人格や感性を踏みにじられているような気がした。

仕事以外の時間に本や雑誌を読んでいても、行間に赤が浮かび上がってくるようで、ぞっとした。


赤入れなんて、大嫌いだった。


やがて私は結婚し、子どもを産んで、書く仕事をしばらく休んだ。

趣味で小説を読みながら無意識に誤字脱字を探すこともなくなり、純粋に読むことを楽しめるようになったころ、縁あって、また書く仕事を始めた。


会社に雇われるのではなく、フリーランスとしておもにWeb媒体で文章を書くようになって、「あれ?」と思った。

書いた文章に、ほとんど赤が入らないのだ。

タイトルや事実関係の間違いなどが修正されることがあっても、基本的に、書いた文章がほぼそのまま掲載される。

あんなに嫌いだった赤入れから解放されてせいせいした……かといえばその逆で、私は、ずっと地面があると思っていた場所が空洞だと気づいたような恐怖を感じていた。



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