「見る」こと、「育てる」こと

私の手にかかると、あらゆる植物が、ことごとく枯れてしまう。

母の日のカーネーションは根腐れを起こし、「丈夫で育てやすい」と書かれていた万両(マンリョウ)の木には虫がつき、子どもが大切にしていたミニトマトの苗まで、私が水やりを始めたらカビが生えてしまった。

毎日せっせと水をあげて、ときどき肥料もあげているのに、昨日まで元気だった植物たちが、ある日を境にみるみる元気を失ってしまうのである。

植物を上手に育てる人を「グリーンハンド」というが、私みたいな人は「ブラウンハンド(ブラックハンド)」と呼ぶらしい。しょんぼり。

あらゆる鉢植えを枯らし続けてきた私だが、木や花や草が心から大好きなのである。

公園で大きな木のそばにいると、恋人と一緒にいるみたいにテンションが上がる。きれいな花を見ると、つい「かわいいね」などと話しかけて、通りすがりの人から何かを察した同情のまなざしを向けられてしまう。

こんなにも愛している植物を、なぜ私は自分の手で幸せにしてあげられないのか。

いつかおばあちゃんになったら、ターシャ・テューダーみたいにベニシアさんみたいに西の魔女みたいに、秘密の花園をつくるのが夢だったけれど、植物たちにとっては「いや、迷惑なんで結構です」という感じなのか。植物と私は、一生片思いの関係で想いが通じ合うことはないのか。

最近は大好きな植物たちに迷惑をかけないよう、そっと遠くから見守ることに徹していたのだが、この春、築40年の古い団地に引っ越しをした。

(つづきは↓)

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