みそら司書室【2冊目】足跡はいつかの靴で

「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思い続け、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする」

 

海と山とに挟まれた、坂の多い港町の本屋でその本に出合ったとき、私はどきりとして、思わずあたりを見回した。

かかとの取れかかったパンプスを引きずって、こんな場所で現実逃避をしている自分の心境に、その一節があまりにもぴったりと寄り添ってきたからだ。

 

本のタイトルは『ユルスナールの靴』(河出文庫)。

著者は随筆家・翻訳家の須賀敦子さん。「生前最後の著作」とある。

縦の糸でフランスの作家、ユルスナールの足跡をたどりながら、横糸で著者自身が歩いてきた道のりを織り込んでゆく、見事なタペストリーのような文章に、当時駆け出しの新聞記者だった私は、最初の3ページで恋に落ちた。

 

霧の中で灯台の明かりを見つけたような思いで、その小さな本を大切に抱えて帰って以来、眠れない夜のお守りのように、須賀敦子さんの本を読むようになった。

 

『ミラノ 霧の風景』『ヴェネツィアの宿』『遠い朝の本たち』・・・

60歳を過ぎて執筆活動に入った彼女の随筆には、叙情的な美しさと凛としたつよさの両方があり、何よりとても「静か」だった。

一日中鳴り響く携帯電話やニュース速報に取り巻かれて過敏になっていた私の神経を、須賀さんの静謐な文体がやさしく宥めてくれるようだった。

 

 *

 

「文章を書く仕事がしたい」という思いだけで飛び込んだ新聞の世界は、思っていたほど甘くはなくて、人生最初の月給で奮発して買った華奢なパンプスは、担当地域を西へ東へ、重たい鞄を背負って走り回るうちに、3ヶ月でかかとがすり減ってなくなった。

 

理想と現実の間に横たわる、暗く深い谷を越えるためには、どんな靴でもとりあえず、今自分が持っているもので工夫しながら、一歩ずつ、地道に歩いてゆくしかないのだということを、20代の私はまだ知らなかった。

広い世界のどこかに、自分の足にぴったり合った、羽の生えた靴があって、それを手に入れさえすれば、どこへでも行きたい場所へ連れていってもらえる。

思い通りにならない現実から目を背けて、そんな夢ばかり見ていた。

 

 *

 

須賀敦子さんは、当時私が暮らしていた兵庫県で生まれ、戦火の中、カトリック系の女学校を卒業。

自分だけの「道」を探し続け、29歳でイタリア・ミラノへ留学して、「コルシア書店」の一員となった。

 

コルシア・デイ・セルヴィ書店。

詩人のトゥロルド司祭を中心に、カトリック左派と呼ばれるグループの人びとが集まる小さな書店に、彼女は自分の居場所を見つけた。

 

「この都心の小さな本屋と、やがて結婚して住むことになったムジェッロ街六番の家を軸にして、私のミラノは、狭く、やや長く、臆病に広がっていった。(中略)私のミラノには、まず、書店があって、それから街があった」

・・・『コルシア書店の仲間たち』(文春文庫)より

須賀さんは、書店の中心人物のひとりだったベッピーノと結婚する。

しかしその夫は、結婚から数年後に病を得、ある初夏の夜、「声もかけないでひとり行ってしまった」。

 

それから実に30年の時を経て書かれた『コルシア書店の仲間たち』には、書店に集う個性的なメンバーひとりひとりの姿が生き生きと描かれている。

きっと誰しも覚えがある、友と心が通じ合った瞬間の喜び、信頼で結ばれた人びとと過ごす時間の胸の高鳴りをよみがえらせる力が、この本にはある。

理想を語り合う仲間たちの声が行間から聞こえてくるようなその文章を、20代の私は憧れと共に夢中で読んだ。

 

須賀さんはその透徹した筆で、かつて志を同じくした友人たちの変化やすれ違い、人が生きることの哀しみをも、避けることなく淡々と描写していく。

 

人も、街も、すべては変わっていく。

同じ場所にとどまり続けることはできないし、人は一人で生まれて、一人で死んでいく。

初めて読んだときには、そんなことを思って、胸が締め付けられるように切なかった。

 

 *

 

「私のミラノは、たしかに狭かったけれども、そのなかのどの道も、だれか友人の思い出に、なにかの出来事の記憶に、しっかりと結びついている。通りの名を聞いただけで、だれかの笑い声を思いだしたり、だれかの泣きそうな顔が目に浮かんだりする。11年暮らしたミラノで、とうとう一度もガイド・ブックを買わなかったのに気づいたのは、日本に帰って数年たってからだった」

 

このコラムを書くにあたり、15年ぶりに再読した『コルシア書店の仲間たち』は、以前とは少し印象を変えていた。

人と人が出会い、互いに情熱を持ち寄って同じ時を過ごす。

時に思いがけない別れがあり、容赦ない現実が誰かの人生を大きく変えていく。

そのすべてをおおらかに包み込んで、川のように流れていく時間。

かつての仲間たちに向けられる須賀さんのまなざしは、ただかぎりなくやさしい。

 

たとえ自分の足にぴったり合った靴が見つからなくても、人生はそんなに悪くない。

 

須賀さんのそんな声が、行間から聞こえてくるように思うのだ。

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