気韻生動

山種美術館で、横山大観を見る。


思いがけず自由な時間ができて、ちょっと気晴らし…というくらいのつもりでふらりと訪れたら、度肝を抜かれた。


まず印象的だったのは、画家が生涯、好んで描き続けた富士山の画。

「富士山を描くことは、富士にうつる自分の心を描くこと。つまり己を描くことだ」とまで語っていたというその山の、まっすぐに引かれた稜線の迷いのなさ。


それから、水の表現。

「春の水」「秋の色」という一対の風景画があって、どちらも川を描いているのだが、その水の色が微妙に違う。

わずかな色の違いだけで、季節ごとの日差しの変化まで表現している。


あるいは、墨一色で描かれた水辺。

写実的ではないのに、画面のこちら側まで波飛沫が飛んでくるような躍動感がある。

谷にたちこめる霧の温度や、頬を撫でていく風の感触まで伝わってくる。


画のタイトルに添えられた制作年を見て、瞠目する。

70代で制作された作品が多くあり、中には80歳を過ぎて描かれたものもある。

しかもそれらの画が、若いころの作品よりも力強さを増している。


決めた道を一心に極めた人の凄みに、横っ面をひっぱたかれたような気がした。

私は、いったい何をやっていたのか。

こんな厳しさの中で、ひたすら己と向き合い続けた人がいるのに。


「気韻生動」という言葉が心に残った。

中国画の理想のひとつで、生き生きとして気品があるさまを言うそうだ。


今日決めたことを忘れないように、目に金箔の入った木菟(みみずく)の色紙を買って、仕事部屋に飾った。

時空を超えて大切なことを教えてくれた偉大な芸術家と、ひとりの時間をプレゼントしてくれた家族に感謝。


写真は横山大観の代表作のひとつ「作右衛門の家」。

展示作品の中で1枚だけ撮影が許可されていて、「どうぞSNSでシェアしてください」という当世風の趣向。



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