みそら司書室【3冊目】飛行機乗りたちの夢

もしも一日だけ、鳥になって空を飛ぶことができたなら、一体どんな心持ちがするのだろう。

抜けるような青空に、ゆるやかな弧を描いて悠々飛んでゆく鳥を見ながら、ときどきそんなことを思う。

何ひとつ遮るもののない高みに向かって、ひたすら上昇していくとき、体に感じる重力。

見えない気流に身を預けて羽ばたきを休めるとき、風切羽をかすめていく風の感触。

不自由な二本の足で、大地に縛られて生きることを宿命づけられた私たちの遺伝子には、重力に逆らって高く、高く昇っていくことへの根源的な憧れが潜んでいるように思う。

 

 ***

 

『星の王子さま』の作者として知られるサン=テグジュペリは、そんな純粋な憧れに殉じた気高い人びと――初期の飛行機乗りのひとりだった。

彼が生きた18世紀初頭、飛行機械は、まだ現代のように安全で快適な移動手段ではなかった。

頻繁に故障する計器類、そして気まぐれな空の天気が、怖いもの知らずのパイロットたちを容赦なく地表に叩き落とし、その命を奪った。

昨日、言葉を交わした僚友が、今日は帰らぬ人になっている。

そして明日は、自分の番かもしれない。

それでも飛びつづける情熱の源泉を、自身の経験を綴った随筆『人間の土地』(新潮文庫)の中で、サン=テグジュペリはこんなふうに説明している。

「あの飛行の夜と、その千万の星々、あの清潔な気持、あのしばしの絶対力は、いずれも金では購いえない。」

星の王子さまの言葉を借りるならば、「大切なものは目に見えない」のだ。

 

21世紀の私たちが旅客機に乗り込み、座席のシートポケットに押し込まれた薄っぺらい世界地図を広げると、そこには航空路が網の目のように書き込まれている。

世界中の人工衛星が大気圏の外から地球を舐めつくし、人類は、まだ開拓されていない空を、まっさらなカンヴァスに絵を描くように飛ぶ楽しみを失った。

豊かさとは何だろう。

技術の進歩は人の暮らしを便利にしたが、最新鋭のレーダーを積んだ自動操縦の飛行機は、パイロットたちから、たとえばこんな喜びを奪ったのではないか。

「機上にあって、夜があまりにも美しいと、人は思わずわれを忘れる、人はもう操縦はしない。機体はすこしずつ左へ傾いてゆく。右翼の下方に村が一つ見いだされるときも、人はまだ機を水平だと信じている。砂漠の中に村などのあるはずがない。そうだとすると、海に漁りする船の群れだろうか、だがサハラの沖合いには、漁りする船のあろうはずはない。ではあれは何だろう? 人ははじめて、自分の過誤に気づいて、にっこりする。静かに人は機体を立てなおす。すると、その村があるべき位置に戻る。人は、誤って落したその星座を、もとの額にかけなおす。あれを村だって? そうだ、星の村だ」

 

 ***

 

またあるとき、サン=テグジュペリはサハラ砂漠の真ん中に墜落し、僚友と共に3日間彷徨い歩く。

激しい渇きと極度の疲労の中で、それでも彼の胸に絶望がよぎることはない。

「ぼくには、何の後悔もない。ぼくは賭けた。ぼくは負けた。これはぼくの職業の当然の秩序だ。なんといってもぼくは、胸いっぱい吸うことができた、爽やかな海の風を。

 一度あの風を味わった者は、この糧の味を忘れない。…問題はけっして危険な生き方をすることにあるのではない。…危険ではないのだ、ぼくが愛しているものは。ぼくは知っている、自分が何を愛しているか。それは生命だ。」

いつ墜ちるとも知れない不安定な飛行機で空に舞い上がるとき、飛行機乗りは孤独だ。

横たわる四肢を受け止めてくれる大地も、手を差し伸べてくれる友も、そこにはない。

重力を振り切って飛翔した彼を、もはや地上の何ものも縛ることはできない。

そこには、本当の孤独と契約を結んだ者だけにゆるされる世界がある。

 

 ***

 

便利さや快適さと引き換えに、孤独を失った私たちは、時間に追われる毎日の中で、ときどきふと、青く澄んだ空を見上げる。

満ち足りているはずなのに、何かが足りない。

何かとても大切なことを、忘れているような気がする。

そんなときにはぜひ、この本を開いてほしい。

あのなつかしい憧れをよみがえらせてくれる一節に、きっと出会えるはずだ。


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