お茶を一杯、いかがですか?
週に一度の、お茶のじかん。
着物に着替えて、教室へ歩いていく間はまだ、日常に心をとられている。
先生にご挨拶をして、にじり口からお茶室に入るときには、携帯電話を外に置き、腕時計も指輪も外し、すべての役割を脱ぎ捨てる。
お母さんでも、奥さんでも、働く「高橋さん」でもない、
ただの「お茶を頂くひと」「差し上げるひと」になったシンプルな自分が、何も持たずに、つるんと畳の上に座っている。
それが、とても身軽で心地よい。
お釜から、しゅんしゅんと湯気が立つ。
まだ習い始めたばかりで、動作が身体に染み込んでいないので、先生と先輩に教えていただきながら、ゆっくりお茶を点てる。
一杯のお茶を美味しく淹れる、そのためだけの動作に没頭している間、頭は空っぽ。
日々の悩みも、迷いや葛藤も、お茶碗の宇宙の中ではうたかたの夢だ。
お茶碗をすすいだ水を建水にあけるとき、先生が「早すぎず、遅すぎず、やわらかくてとてもいい音ね」と言ってくれた。
小さな動作ひとつに、心の状態が、ぜんぶ表れる。
お点前の終わり、柄杓で水をお釜に注ぐとき、じゅっと音がするのが好き。
少し名残惜しいけれど、ああ、今日もいい時間だったなあと思う。
帰路につくときはいつも、心の波がしずまって、いつもの風景も、粒子が細かく見えるような気がする。
自分が、お茶の時間をこんなに大切におもうようになるなんて、数か月前、習いはじめたときには考えてもみなかった。
新しいことを学ぶのは、愉しい。
世界にはまだ、自分の知らない素敵なことがたくさんあって、私に見つけられるのをじっと待っている。
そんなふうに信じたまま、おばあちゃんになってもずっと、夢中で宝探しの冒険を続けてゆくことが、私の理想の人生。
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