団地がふるさと
「えーっ、また引っ越し!?」
転勤族の夫に突然の異動辞令。度重なる引っ越しにうんざりした奥さんが眉間にしわを寄せてため息をつく――
そんなテレビ番組の一場面のような光景が、わが家では1~2年おきに繰り広げられている。夫は転勤族。結婚してからの13年間、2人の子どもを連れて、北は山形から南は沖縄まで、日本全国、6回の引っ越しを繰り返してきた。
いや、6回どころではない。
実家の父も、転勤族だった。私が5歳のとき、北海道から千葉へ、今はなき「青函連絡船」に揺られて移住をした。大学を卒業して就職した会社も全国転勤のある会社で、千葉から神戸に赴任した。私が赤ちゃんのときにも引っ越しをしているそうなので、これまでの人生で自分が何度引っ越したのか、もはやカウントすることすら難しい。
そんなふうに育ってきたから、私には「ふるさと」がない。両親は既に老朽化した団地を出て、私が育ったのとは別のマンションで暮らしている。頻繁に住所が変わるので、幼なじみと呼べるような友達も少ない。
東北の農家で育った夫が、帰省して「やっぱり田舎は落ち着くなあ」と言ったり、旧い友達と集まって盛り上がったりするのを、少しうらやましく思いながら見ていた。
仲のいい友達ができても、遠からずお別れの日が来ると分かっているから、いつの間にか、最初から心のどこかで「さよなら」の準備をするようになった。好きな場所やお気に入りのお店に行っても、「来年の春には、この景色は見られないかも」「あと何回、この店のコーヒーが飲めるんだろう」などと考える癖がついた。
もちろん、行く先々でめずらしい景色を見たり、その土地独特の食文化に触れたりと、転勤族ならではの楽しみもたくさんある。でも、ひとつの場所に腰を落ち着けることができない根なし草のような感覚、どこかで自分が「よそ者」であるという意識を、ずっと持ち続けてきた。
そしてこの春も、わが家は引っ越しをした。
あまりにも引っ越しが多いので、「荷出し1週間前にするべきこと」「前日の準備」「新居についたらどの順番で箱を開けるか」など、すべての段取りが体に染みついている。子どもたちも、小学校や保育園が変わることに慣れていて、初日から給食をお代わりし、あっという間に友達をつくって帰ってくる。
慣れ親しんだ家や街、親切にしてくれた友人知人との別れは何度経験しても寂しいが、引っ越し作業自体はわが家にとって、もはや「ちょっと大がかりな大掃除」くらいの位置づけだ。
今回の引っ越し先は、築40年を超える団地。最低限の修繕はされているものの、天井からぶら下がっているのは裸電球、お風呂は「カチカチ」式のバランス釜と、昭和レトロ感が漂っている。前の家が近代的なマンションだったのでギャップが著しいが、子どもたちは畳の部屋で歓声を上げて走り回っている。
段ボールを開ける手を止め、少しずつ片づいてきた部屋の中をふと見回して、私は首を傾げた。
「懐かしい」と思ったのである。
何が懐かしいのだろう? 初めて住む家なのに。家が古いからだろうか?
(つづきは↓)
0コメント