慣れない土地での暮らしにとまどったとき

いつも、透き通った涼しげな声を聴かせてくれる鳥の名前が知りたくて、軒先に来ているところをそうっと観察する。頭は青くて、おなかが赤い。


調べたら、「イソヒヨドリ」というのだそう。島ではスズメのようによく見られる鳥なんだとか。どうやら近くに巣があるようで、つがいで愉しげに鳴き交わす姿をたびたび見かける。


島には大きな虫がたくさんいるよ、と言われて、虫が苦手なわたしはとても怯えていたのだけれど、家の近所であまり見かけないのは、きっと、この鳥のおかげ。ありがとう、イソヒヨドリ。


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昨晩は、玄関先で初めてヤモリに会った。虫は苦手だけど爬虫類はわりと好きなので、ヤモリが出ると聞いて楽しみにしていた。


トカゲは見たことがあるけど、ヤモリは初めて。白く透き通って、きれいな体をしている。触ったら、きっとひんやりして気持ちがいいだろう。「家守」というくらいだから、家を守ってくれているにちがいない。


よろしくお願いします、とあいさつしたら、しゅるしゅると素早い動きで物陰に隠れてしまった。けれど、今日は一日、外に出るたび同じヤモリに会ったから、たぶん新入りとして認められたんだろう。


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「見るもの聞くもの、なんでも素敵!南国最高!ばんざい!」という観光客的ハイテンション期を過ぎて、慣れない土地での暮らしに困難を感じる「抵抗」の時期に入った。


子どものころから、ひとつの土地に落ち着くことの少ない根なし草の人生なので、この感覚もいつものこと。この時期を上手にやり過ごせば、やがて「適応」期に差しかかり、少しずつ生活のペースができてくる。


「抵抗」期は神経過敏になり、少しのことで腹が立ったり、悲しくなったり、自信を失ったりする。


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そんなとき、窓の外に、見上げるべき大きな空があると、本当に救われる。雪国にいたときは、勝手口を開けると、息をのむような美しい夕焼けが見えた。(思い出すだけでなつかしくて泣きたくなる。何かに抱きとめられるような、本当にきれいな空だった)


そしてこの街の空は、海を抱いている。くたびれても寂しくても落ち込んでも、少し車を走らせればそこに海がある、というのは、健全な心身をたもつためにすごく効果的だ。ぽかんと口を開けて、海の蒼と、空の青を見比べていたら、あの詩のことばが思い浮かんだ。


空の青さをみつめていると
わたしに帰るところがあるような気がする

だが雲を通ってきた明るさは


もはや空へは帰っていかない


谷川俊太郎「62のソネット」、41番。

たしか、以前にもこの詩のことをブログに書いたことがあったような…と探したら、7年前、くまと結婚して、雪国に引っ越したばかりの頃だった。

読み返したら、今と大して変わらないことを考え、変わりばえのしないことをやっているので、可笑しくなって笑ってしまった。


ということは、この島を離れるころ、わたしはきっとこの街を大好きになっていて、「離れたくないよう」と言ってまためそめそするんだろう。


そうやって、地球のあちこちに大好きな場所が増えていくのだとしたら、根なし草の暮らしもそうわるくない。

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