子どもを人に預けることに罪悪感や不安を感じるとき
引っ越しをすることになりました。
いつかはこの日が来るとわかっていたけれど、いざ決まってみると、とてもさみしい。
5年前、結婚してここに住みはじめたときは、夫以外に知り合いもいない、見知らぬ町だった。
だんだんお友達ができて、馴染みの場所も増えて、子どもまで産んで、いつの間にか、ここを大好きになっていたみたい。
名残を惜しんでいるあいだにも、出発の日はどんどんせまってくる。
11ヶ月になったちびくまは、つたい歩きもはいはいも、高いところによじのぼるのも自由自在。たっちもおぼえて、いよいよ目が離せない。
おまけに夫が長期出張に行ってしまって、引っ越しの荷造りどころか、家のあちこちに積み上がった不用品を処分する時間すらない。
このままではゴミと一緒に引っ越すことになりそうなので、一大決心をして、初めてちびを人に預けることに。
身内以外の人にまかせるのは初めてだったから、前の晩は眠れないほど緊張したけれど、ふたを開けてみたら杞憂だった。
預かってくれるIさんは、経験豊富なやさしい方で、ほんとうにちびをかわいがってくれたし、ちびくまもすっかりIさんになついて、とことこ追いかけて歩いている。
わたしはわたしで、ひさしぶりにひとりの時間をゆっくり過ごして心のゆとりができた。
この町で、わたしはひとりぼっちじゃない。助けてくれる人がそばにいると思えるだけで、どれほど励まされることか!
そんな毎日の中で、ページをめくっては勇気をもらっていたのが、梨木香歩『雪と珊瑚と』。
生まれたばかりの赤ちゃん、雪を抱えて離婚した主人公珊瑚が、街角で「赤ちゃん、お預かりします」という貼り紙を見つけるところから、物語が始まる。
貼り紙の主、くららとの出会いが、珊瑚の人生を大きく動かしていく。
珊瑚には、お金も経験も知識もない。
その代わり、動物的な勘と決断力、そして、なりふりかまわず他人に助けを求める勇気がある。
それはもちろん、珊瑚という女性にもともと備わった資質なのだろうが、子を持つということは、いやおうなしにそれらの能力を研ぎ澄ますことなのだ、たぶん。
珊瑚の周りには、さまざまな知識や経験を持った個性的な人物がたくさんいるけれど、「すてきな人が集まってくる」という感じではない。
むしろ、彼女が周囲の人の才能を引き出して、パッチワークのように縫い合わせ、ひとつの場を立ち上げていくように見える。
そして、雪の存在。
日々成長していく赤ん坊の生命力と、新しい場所が誕生ずるときの熱みたいなものが重なって、のびざかりの植物を見ているようにわくわくする。
うまくいくことばかりじゃない、珊瑚に冷や水を浴びせるような手紙が届いたり、雪の夜泣きと仕事の両立に疲れ果てて倒れることもある。
それでも、珊瑚の周りには、くららをはじめとするゆるやかな人の輪があって、バランスを崩したときにはふわりと受け止めてもらえる。
受け止められる経験を通じて、珊瑚自身も、受け止める幅を広げてゆく。
次々起こる予想外の出来事や、これまでの自分の価値観でははかりきれない人の行動を、裁くのでなく、ただそこにあるものとして了解する。
そういうふところの深さを、珊瑚がどんどん見せるようになる。
*
思い通りにならない現実を、ありのまま受け入れること。
勇気を出して、隣人に助けをもとめること。
子どもを育てていると、教えられることがたくさんある。
母親と赤ん坊は、世界にひとつしかない組み合わせ。
その組み合わせでしか学べないことが、かならずある。
「子どもを産むということが、ときに生死に関わるほどのダメージを母体に与えるのと同じように、子どもを育てるということも、長いスパンで、ときに母親自身の存在を揺るがすほどのすさまじい影響力を持つものなのだろう。私は雪を産んで、人生が変わった、と珊瑚は自覚していた。自分の主義主張、生き方まで変えるほど、なりふり構わずに人と交わっていかなければ、子どもは育てられない。そのことを自分が潔しと思っているかどうかは別にして。」
赤ちゃんと一緒に泣いてばかりいた、たよりない新米の母親にそっと手を差し伸べてくれたすべての人と、人生を変えてくれたちびくまに感謝して、新しい町へ行く。
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